ノーベル経済学賞を受賞したダニエル・カーネマン氏は、著書「Thinking Fast and Slow(ファスト&スロー)」(2011年)の中で、人間が持つ2つの思考モード、「システム1(早い思考)」と「システム2(遅い思考)」について説明しています。
- システム1(早い思考)は常に起動しているもので、自動的で高速、無意識的かつ画一的といった特徴があります。また、既知のパターンを瞬時に効率的に認識し、新しい概念を既成の観念に当てはめる傾向にあります。空いている道路で車を運転しているときや、何気なく見た看板の文字を読むときに働くのがこの思考モードです。このモードが職場で機能している時、我々は、馴染みのある状況に安堵を感じますが、一方でデータに基づく意思決定ではなく、直感や偏見に頼った意思決定につながってしまうこともあります。
- システム2(遅い思考)は、システム1と対を成し、普段は働いていません。意識的で遅く、計算的、論理的といった特徴があり、複雑な計算(例:13x17=?)やデータ分析、新しいスキルの習得時に用いられるものです。システム2の思考モードは、怠けものであるという難点があり、機能させるために相当な集中力が必要です。そのため、人間は様々な状況でシステム2の思考モードを働かせずに直感に頼ってしまいます。同書では、「なぞなぞ」を使ってこの点を説明しています。
バットとボールを合わせると1ドル10セントです。バットがボールより1ドル高い場合、ボールはいくらでしょうか。
このなぞなぞに、ハーバード大学とプリンストン大学の学生が挑戦したところ、50%が直感的に10セントと回答しました。これは間違いです。システム2の思考モードは、精神的に大きな消耗を伴います。その結果、人は間違った判断を下すのです。
「あなたが数字の計算に集中しているとき、美味しそうだが体に害のありそうなチョコレート ケーキとヘルシーなフルーツ サラダを提供されたら、どちらを選ぶでしょうか。研究の結果によると、頭の中が数字だらけのときには、チョコレート ケーキを選ぶ確率が高いことが実証されています。つまり、システム2の思考モードがせっせと働いているときに行動に影響を及ぼすのは、システム1の思考モードであり、甘いものを選ぶ傾向にあることが実証されたわけです」
今日のナレッジ ワーカーには、重要な意思決定ではシステム2の思考モードを働かせ、あまり重要でない単調な作業では、この思考モードを働かせすぎないという適度なバランスが求められます。数値やその他の構造化データの演算にコンピュータ システムを使用するのはそのためです。数値の処理は、人にとって楽しい仕事ではないからです。人間がシステム2の思考モードを働かせて計算結果を確認し、エラーを防止するには、とてつもない集中力が必要になってしまいます。
特に、数値を運用するにあたって、標準化された所定の規則に正確に従わなければいけないようなタスクは、自然に反していると言えるでしょう。規則は単純です。そのため、人間の脳はすぐにそのパターンを認識し退屈してしまい、システム1の思考モードへと切り替わります。この切り替えは、車の運転には役立ちますが、集中力とシステム2の思考モードが継続的に要求される数値計算には役立ちません。システム1とシステム2の思考モードが絶えず切り替わると、神経が擦り減ります。そして、ストレスや疲労、注意力の低下などが原因で、いわゆる「人的エラー(正しい結果からの逸脱)」を招くことになります。
そこで、コンピューターの出番となります。コンピューターはエラーなしに瞬時に計算を実行し、規則に厳格に従います。そのため企業では、人間による意思決定が、不要なプロセスを自動化する方向へ進んでいるのです。構造化データを利用するような、標準化された規則ベースの業務を自動化することは、コスト削減だけでなく業績改善や品質向上にも貢献します。また従業員は、日常的な作業にシステム2の思考モードを働かせる必要がなくなるので、創造的な思考や人間同士の交流など、「人間」にしかできない作業に集中できるようになり、満足度が向上します。
こうしてRPAは、業務自動化の最先端テクノロジーとして生み出されました。RPAボットは理想の従業員です。人間さながらに企業アプリケーションにログインし、標準的な反復作業をエラーなしにすばやく実行することができます。ところが、世の中は純粋な構造化データばかりで成り立っているわけではありません。平均的な企業では、データの約8割が、各種ドキュメントや電子メール、議事録、その他のコミュニケーションに含まれるオートメーションに適さない「ダークデータ」であると言われています。こうしたデータの処理には人間の思考が求められます。つまり、非構造化形式の中に埋もれた関連情報を見つけ出し、それを構造化して標準化されたビジネス プロセスで使用する必要があるのです。
AI(人工知能)技術が価値を創出するのは、このような場面です。AIは、「人間の思考様式」を模倣し、半構造化ドキュメントや非構造化テキストの中に埋もれた貴重なデータを見つけ出します。そうすれば、下記の「バットとボール」のなぞなぞは機械でも解くことができます。コンピューター ビジョン、つまり、OCR(光学的文字認識)を使用して文章を読み取り、NLP(神経言語プログラミング)を使用して構文を解析、オブジェクトと価格を認識し、それらを構造化形式へと変換します。
オブジェクト | 価格 |
---|---|
バット | X |
ボール | Y |
バット + ボール | X+Y = 1.10 |
バット - ボール | X-Y = 1 |
最後に、標準的なアルゴリズムを使用して2つの一次方程式を解き、「バット = $1.05、ボール = $0.05」という正しい回答を導き出します。つまり、「人的エラー」の発生率が50%からゼロへと改善されるのです。
私たちが心に描く企業の将来像。それは、各部門の反復作業にRPAボットを活用して生産性を向上させ、コグニティブ ボットを活用して「人的な」非構造化情報を構造化形式へと変換させる企業です。このアプローチにより、従業員は創造的潜在能力を生かし、未来を変えるプロジェクトやアイデアを生み出す時間と機会を手に入れることができるのです。